心配してほしかった
2023/11/16
叱られるのは嫌だけど心配してほしかった
「中学生の子供が友達と遊びに行くと伝えてきたとき、友達ってどこの誰、どこへ行くの、何時に帰ってくるのときいたら、ウザいと言われた。それからは、またウザいと言われそうで、躊躇してしまう」
こんな話をして下さった方がおられます。
「子供がどんな人と付き合っているか、どんなところに出入りしているか不安ですよね。
中学生くらいになると、もう赤ちゃんじゃないんだ、こんなに成長したんだと親に認めてほしい気持ちもあって、ウザいという言葉になるんだと思いますよ。でも親の庇護にあるうちは、ある程度は知っておくべきですね。ウザいと言われても聴くべきです。心配しているから、大事に思っているから聴くんだと言って下さい。自分のことを心配してくれている、大事に思ってくれているということは、きっと心のどこかに残るはずですから」
こんな風に答えながら、ずっと昔のことを思い出しました。
私が小学生の頃、両親は自営業で一日中忙しく働いてました。
その日、私は遊びに夢中になって、気が付くとあたりは真っ暗でした。
日が暮れるまでには帰ってこいと言われてましたから「えらいことになった、叱られる、なんて言い訳しようか」と歩きながら考え、ドキドキしながら家に入りました。
両親は何か相談しているようでした。
母がチラッと私の方を見ましたが、また父と何かを話し始めました。
私は「アレッ」と思いました。
叱られずに済んだ…、その時はそれで終わったのですが、父と母の話し合っている姿が写真のように鮮やかに私の記憶に残ったんです。
それから何年もこの光景が何かの時に蘇ってくるんです。
なぜその場面を覚えているのか、どういう意味があるのか、鈍感な私には訳が分かりませんでした。
最近になって、やっとわかりました、最近といっても10年位前ですが。
あの時、親が心配してくれてると思ってたのにそんな言葉はなかった。
「私のことはどうでもいいの?」と言いたかったのだと気が付いたんです。
心配していると言われたかったのでしょう。
あれがフラッシュバックだったのかはわかりませんが、強い感情とともに脳裏に焼き付いたのは事実です。